最近、日本でも「ギフテッド」という言葉が認知されはじめた。
脳のどこかが化けて、突出した才能をもった存在になった人たちのこと。
だけどそのぶん、ほかのところはちょっとばかり、へたっぴだったりもする。まるでバランスをとるように。
実は私は、私の娘もこの「ギフテッド」の仲間なのではないかと思っている。「天才だ!」とは思っていない。そこまでのものではないので、まあ、「ちょいギフ」な感じとでも言おうか。
そんな娘は、映画で聴いた音楽をまるでジュークボックスのように脳内に蓄えてもいる。こちらがちょっと鼻歌を歌うと、それにちゃんと英語の歌詞をつけて寄り添ってくる。「この曲、なんだっけ?」と尋ねると、しばし考えて映画のタイトルを答える。
彼女の頭の中では常時、3〜4本のトラックでそのときホットな曲がそれぞれ流れているようで、トイレに入るまでは映画『ディセンダント』のめちゃんこムズいナンバーを歌っていたのに、トイレから出てきたらラテン語の聖歌に変わっていたり。これも「ちょいギフ」の為せるわざかな、と思う。
彼女の頭の中では常時、3〜4本のトラックでそのときホットな曲がそれぞれ流れているようで、トイレに入るまでは映画『ディセンダント』のめちゃんこムズいナンバーを歌っていたのに、トイレから出てきたらラテン語の聖歌に変わっていたり。これも「ちょいギフ」の為せるわざかな、と思う。
その一方で、人間的にはものすごい凸凹を抱えている。
人の心がわからない。
約束を忘れてしまう。
時と場合を考えず、空気を読まない。
やりたいことを即やり、言いたいことを即言う。
そのくせ、「失敗はしたくない!!!」とキレる。
学校では、授業中にいきなり立ち上がったかと思ったら『ホール・ニュー・ワールド』をミュージカルのように振り付きで歌い出す。
家族で友人宅に遊びに行ったときは、訪問先の、娘よりも5歳年上のお嬢さんと遊んでもらうにあたり、相手のテリトリーにもかかわらずその場を仕切りはじめ、お嬢さんを泣かせてしまう。
日常でも、私と夫が話しているときに、別の話題で割り込んでくる。
叱られてもたちまちケロッとするので、「叱るのがバカらしくなる」と、幼稚園の先生を深く悩ませもした。
恐縮だが、ここで突然、私の話をする。
おそらく私も、「ちょいギフ」だった。
漢字が大好きで、5歳で新聞が音読できた。
4歳のときに母が教えてくれた熟語は「流暢」だ。母と一緒にダイニングテーブルに広げた新聞を見ていたら、下方の広告欄にその単語があった。「意味を教えてあげるから、類推して、読み方を考えなさい」と言われた。(「りゅう」は読めたが、その時点で「りゅうちょう」という言葉を知らなかったので、類推が及ばず、結局読み方も教えてもらったけども)。
そのころ通信講座で受けた子供向けのIQテストでは140だか150だかだったらしい。
「ちょいギフ」だったからなのか、たいへんな凸凹を抱えていた。利発なところもあったけれど一方で小賢しく、こずるかった。
そして、娘と同じように、空気が読めず、人の心がわからなかった。「一人っ子だから」とよく言われていたけれど、おそらくそれだけではなかったのだろう。本当に、親に恥を何度かかせたか知れない。
6歳。父が職能上の勉強会でたいへんお世話になっている大先生が、父の職場に来たとき。当時流行っていたゲームウォッチで遊んでいたら、大先生が「それは何?」を声をかけてくれた。せっかく気を遣ってくれたんだろうのに、私は彼に向かって「大人のくせに、知らないの?」と言ってしまう。そこから、勉強会での父に対する壮絶なイジメ、報復が始まった。
8歳ごろ。両親の大学の後輩のお宅で夕食の席に招かれた。家族みなで行くも、大人は話が弾むが子供の私は飽きてしまう。なぜか、客先の居間で長々と寝転がった。そして、身じろぎした拍子に、「へ」をこいてしまう。
数え上げるときりがないので、まあこのあたりにするが、実に、いまの娘を見ているとまるで幼少期の私のようだなあと思うのだ。
しかし成長とともに、こうした凸凹は平均化して埋まってゆき、「ちょいギフ」も埋もれていく。「二十歳すぎればただの人」のできあがりである。
たとえば私は、「あとさき」を考えて行動することができるようになったのが10歳である。
観察することで、指示されなくても相手の要求がわかるようになったのは、12歳である(このときを境に、毎日叱られるということはなくなった)。
自己を客観視しして、周囲とバランスをとることを考えられるようになったのが17歳である(このときの変化は激烈で、それまで感情で動いていたのが理屈を軸に据えるようになり、理系っぽい考え方をするようになった。文系から理系に進路の変更まで考えたほど)。
上記のどれも、まるでスイッチが切り替わるかのような変化だった。その変化が強烈な印象とともに、そのときどこにいたか、何を着ていたか、母の反応はどうだったか、すべて思い出せる。
そして無論、そうしたスイッチの発動と引き換えだったのか、突出した才能も目立たなくなっていった。
そして無論、そうしたスイッチの発動と引き換えだったのか、突出した才能も目立たなくなっていった。
いま、さかんに宇宙と交信している娘にも、いずれスイッチが切り替わる瞬間が訪れるだろう。
そのタイミングがいつかは、わからない。
「ちょいギフ」が影を潜めていくかどうかも、わからない。
極端な才能とともに凸凹を許容して生きていくもよし、才能の熾火を楽しみながら「ただの人」として生きていくもよし。
7歳は、娘のターニングポイント。初めての「スイッチ」が、近々、訪れる。
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