2010年6月23日水曜日

土足で家に上がられたような気分

 
しばらく更新をしていなかったら、
いつの間にかコメントがついていた。
日付を見ると2日前。
(トラックバックはメールで通知が来たけれど、
コメントの通知は来なかった。あとで設定を見直してみよう)
 
初コメントだったので、ドキドキしながら見てみると
…援交サイトの宣伝だった。
  
不浄だ。けがされた、と思った。
電車の中で、向かいの人にクシャミをふきかけられた気分だ。
 

高尚な学説を掲げているわけでもないし、
学問のやしろというわけでもまったくないが、
突然なすりつけられた穢れが不愉快でしかたがない。
初めにカッと怒りを覚えたあとは、ションボリした気分が続いている。
  
 
 
土足で踏み込む、という言い方がある。
人の心に土足で踏み込む、といえば、
その人が大切にしている価値観をないがしろにし、踏みにじることを表す。
 
土足とは「靴をはいた状態」もしくは「土のついた足」という意味だ。
日本人には外界の穢れを嫌う発想があり、
外の穢れを内に持ち込まないために、家では靴をぬぐ。
外と内のケジメを守ること、
内のテリトリーのなかに外部の穢れを持ち込まずに、
内部を清浄に保つことは、古来、最低限のマナーだった。
 
土足で踏み込むとは、つまり、
相手のテリトリーに穢れを持ち込んだって構うもんか、
そんなこと斟酌してやる必要はない、という感じになる。
土足という言葉によって、敬意や配慮の欠如を
うまく表している慣用句といえる。
 
 
しかしこの慣用句も、
日本人から、穢れを嫌う文化が失われた今、
どれだけリアルに訴えるか疑問だ。 
 
 
地べたに座り込んだそのお尻で、ダイニングの椅子に座る。
一日中ひきずって歩いたジーンズのすそ(トイレの床も)なのに、
家の中でもそれをひきずって歩く。
地面に置いた荷物を、帰宅後にテーブルに置く。
 
これでは、靴をぬがずに家に上がるのと同じだ。
 
外と内のケジメを失って、こうしたことが平気になってしまったわけだから、
悲しいことだ。
 
 
 
そんなことを考えてはみたけれど、
援交サイトの宣伝で受けた穢れをどうやって祓うかは、まだ思いつかない…。
 
 
 

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