文庫本で見つけた「んっ?」という違和感。
まずはラテン語の原書に当たるも、迷子に。
そこで文庫本の翻訳元である英書を頼ることにした。
『プリンキピア』英訳書を手がかりに
ラテン語「唯一者」に迫る……!
そして出くわした、手書き文字の所業……!
目印となる見出しから、段落を数えて
先の記事その2で、『プリンキピア』英訳書(1729年刊)をよすがに、
ラテン語の原書第3版(1726年刊)の中で
どのあたりに「唯一者」が出てくるのかを探った。
ちなみに、よく調べてみれば、
「唯一者」の文章は
『プリンキピア』初版(1687年刊)には存在せず、
第2版(1714年刊)で3巻部分のラストに付加されたエッセイだという。
第3版でも、さらに加筆修正のうえ収載されたらしい。
どれだけ初版を探っても、見つかるはずがない。
記事その1でチラッと思ったことが、意外にも当たっていたわけだ。
余談はさておき、
ここまで来たら、あとは丁寧に見ていくだけである。
まずは英訳書(E)の段落をチェック。
3番目の段落に、例の箇所がある。
英訳書、見出しはここ |
該当箇所は、次の見開きにある |
同じように、ラテン語原書(L)のほうでもチェックする。
ラテン語原書の該当ページ |
さらに、ラテン語原書(L)の段落3をアップで見てみると……。
見つけた!
ここだ! |
英訳書にあった This most beautiful (System of) the Sun, に相当する
Elegantiſſima hæcce ſolis, という記述で始まっているのが、
ハッキリとわかる。
和訳の「この太陽(…中略…)の壮麗きわまりない」の部分だ。
該当箇所の全文をラテン語でも引いておこう。
Elegantiſſima hæcce ſolis, planetarum & cometarum compages non niſi conſilio & dominio entis intelligentis & potentis oriri potuit. Et ſi ſtellæ fixæ ſint centra ſimilium ſyſtematum, hæc omnia ſimili conſilio conſtructa ſuberunt Unius dominio:
記事その1で調査の材料とした
「深慮(コンシリウム)」と「支配(ドミニウム)」は、
やはり変化したあとの形が異なっている。
これはそれぞれ、
主格(主語)の consilium と dominium ではなく、
奪格(手段や理由) consilio と dominio となっている。
仮に『プリンキピア』ラテン語初版にこのエッセイがあったとしても、
語形が違えば検索でヒットしない。
まあ、和書のルビとしてラテン語の主格をもってくるのは
妥当といえるので、いたしかたのないことだ。
さて、
問題の「ウユウス」はというと……、
キッカケはこれ |
英訳書で確認したところによれば、
「唯一者」すなわち One は、この部分の最後なので……。
……あれッ。
これは、
ウ…、
ウ……、
Unius !!!
ウニウス ですね!!!
ウユウス ではなく、
ウニウス!!!
スベルント ウーニーウス ドミニオー。
Unus, Una, Unum...
まさに One! これぞ、まさに唯一者!
……なにがどうしてこうなった?
エラーは起こるべくして起こる
「ミスをしよう!」
と心がけてミスをする人は、いない。
(ミスをするのが仕事の人は別だが)
みんな、できるだけエラーのないように、
仕事をしようとしている。
特に私は、出版業界に身を置く者として、
誤謬なく
美しく
整った書籍を刊行したいという願いを、
製作工程のすべての人が心に抱いていることを知っている。
だが、エラーは起きる。
ミスが起きるための条件が整ってしまっているときに、
それは生じてしまう。
ラテン語 Unius は、語頭の U と i が長母音なため、
こだわって書くなら「ウーニーウス」となる。
だが一般的には「ウニウス」とするだろう(属格だけど)。
おそらく、翻訳者か、あるいは編集者が
「ウニウス」と、校正ゲラに手書きでルビの指定を入れた。
読者に『プリンキピア』をより身近に感じてもらうため、
大切な言葉にラテン語のカタカナ読みをルビとして入れる。
粋な心配りには、製作サイドの愛さえ感じる。
だが、そこに、
2つの、いや、3つの落とし穴が潜む余地があった。
〈1つめの陥穽〉
時間を気にしているとき。
忍び寄る疲労をいなしながらの作業のとき。
あるいは、ノリノリでカッ飛ばしているとき。
勢いにまかせて、
うっかりこんな字を書いてしまったりしないだろうか。
読めた気がしてしまう半端さ |
連綿線、大炸裂である。
連綿線とは、
字画と字画をつなげて書くときに現れる、
あるいは、
つながっちゃったときに現れる、イレギュラーな線のこと。
達筆であればよいが、
悪筆であれば、事故のもとである。
そして疲れているとき、
焦りのあるとき、
人は悪筆になりがちだ。
〈2つめの陥穽〉
これを見て、
次の工程のDTPオペレータらが、
眼精疲労を押しやりながら作業するわけである。
ヨレヨレの字が書かれてあり、
ヨレヨレの目がそれを読む。
〈3つめの陥穽〉
最後の砦たる校正だが、ここでもエラーが生じる。
日本人は特に、
「正直言ってラテン語とかイメージもわかない」
という人がかなり多いのではないか。
文系校正者でも、英語にさえアレルギーを抱く人がザラなのだ。
エラソーに書き綴ってきた私も、
ものがフランス語やポルトガル語、スカンジナビア諸語、
さらにスラブ諸語、アラブ諸語、
インド諸語、東南アジア諸語であったなら、
もぉ完璧にお手上げである。
そうなると、調べられない。
調べるための糸口が思い当たらない場合すらある。
それに、専門的な内容の書籍は、
やたら調べずともよい、という暗黙の了解もある。
内容に関してはその著者や翻訳者がきちんと見ているから、
「校閲」ではなく「校正」だけすればよい、ということだ。
さもないと、時間がいくらあっても足りない。
正常性バイアスのしわざもある。
きちんとしたフォントで「ウユウス」となっているゲラを見たら、
ヨレヨレの手書きも、「ウユウス」と読めてしまう。
フォントの説得力 |
その点、おそらく、
「どうやら指定のとおりにルビが入っているようだから、これでOK」
としたわけであろう。
ヨレヨレの字が書かれてあり、
ヨレヨレの脳がそれを誤認した。
斯くして、
「唯一者(ウユウス)」は出来上がってしまった。
おわりに
ヨレヨレのルビ指定以下は、
すべて私の「妄想」だ。
起こりうるよなぁ、と思って書いた。
ただし、
仮に上記の誤植プロセスが正しかったとしても、
それが中央公論新社『世界の名著31』ですでに生じていたものなのか、
ハヤカワ文庫『神は数学者か?』で引用の際に新たに生じたものなのかは、
これも改めて調べてみなければ分からない。
後者の引用箇所には「一部改変」と断り書きがあるため、
改変のおりにミスに至ったおそれもある。
いずれにせよ、
上記に示した3つの落とし穴のうち、
どこか一つでも陥らずに突破していたら、
このエラーは起きなかったと思うのだ。
とはいえ、この手のエラーは「あるある」である。
切ないことだが、
大手出版社のエラーはレアだからこそ、
その実、理由を考えてみると「あるある」な場合が多い。
レアなのにあるある。
やっぱり切ない。
一方で、
文庫本にあった記述、
17〜18世紀の書物のことなど、
調査の手順で見てきたものについては、
すべて「事実」である。
私はいつもこうしたプロセスで、
根拠から逸脱しないように調査している。
今回はネットに頼ったが、
ものが図書館の書物でも同じだ。
校閲者としての調査は、
とにかく、根拠。
初版であればいい、というのは当たらない。
可能ならば、底本と同じものを参照する。
今回の場合でも、最終的には、
初版にこだわればそれは個人の趣味にすぎず、根拠にはならない。
そして、執念。
調査の道筋が見えれば、挫折せずに追うことができる。
すなわちムダに妄執することなく、
冷静な執念を燃やすことができる。
とはいえ、
仕事であれば、与えられた時間もチラ見しつつ。
趣味であっても、仕事そっちのけにならぬよう。
校正者としては、
正常性バイアスの意識操作のおそろしさを知りつつ
自分を疑うことを忘れない。
どれだけキレイな字でも、常に誤読のおそれを念頭に。
逆に、
おのれが校正ゲラに指示・意見を書き入れるときは、
誤解のないよう可読性にすぐれた筆記をするよう心がける。
他人様のエラーを見、
その発生プロセスに思いをはせれば、
いっそう身の引き締まる心地ゆえ、
……仕事
※ イワタ明朝オールドの画像は、
書体ダウンロード販売サイト Font Factory さんのプレビュー機能をお借りした。
プレビューのキャプチャ画像については、免責がわからなかったため、
ここでお断りと御礼を申し上げておく。
後学と検証のためということでお目こぼしいただければ幸いである。
Evidenceに基づいた仕事ぶりに感心しています。わたしの職場に来てほしいなあ…。
返信削除ゆたかさん、嬉しいコメントをありがとうございました。えへへ、もじもじ照れちゃいますねぇ(*^_^*)
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