2018年10月31日水曜日

「ウユウス」の正体:その1


文庫本で見つけた「んっ?」という違和感。
読んでいるときはスルーしたが、あとからどうしても気になって、
やはり確かめずにはいられなくなった。
それを、校正者根性丸出しで調べてみようという実験。
いつもこんな手法で調べているんだよ、という手の内をさらしつつ。
 
 
 

合唱愛好家と校正者のはざまで

 
今年の夏、
神は数学者か?    数学の不可思議な歴史
(マリオ・リヴィオ著、千葉敏生訳、
ハヤカワ文庫NF〈数理を愉しむ〉シリーズ、2017年)を読んだ。
 
その中のある部分に、強い違和感を覚えた。
ここだ。
 

 
この文庫本の第4章ラスト付近、ニュートンを扱っている部分だ。
 
彼の著作『プリンキピア』からの引用として、もちろん和訳が書いてある。
大切な語を強調するためだろう、振られたカタカナのルビは、
ラテン語のカタカナ表記だ。
 
ご存じのように、ニュートンはイングランドの人であるが、
『プリンキピア』はラテン語で書かれている。
かつてのヨーロッパの学者たちは、
諸学問の共通言語であるラテン語で文通し、
遠隔地の相手と議論を深めたりしたという。
 
 
 
さて、この、
「唯一者」に振られた
「ウユウス」というルビである。


 
合唱をやっているとミサ曲などを歌う機会も多く、
ラテン語にはなじみがある。
「唯一者」といえば、
まさにミサ曲で讃えられる神のことであるのだが。
 
 
 
  ぶっちゃけ、こんな言葉だったっけ??? 
 
 
 
「ウユウス」。
いったい、どのようなスペルなのだろうか?
 
カタカナ表記も、
なぜ「ウーユス」でも「ウユース」でもなく、
「ウユウス」なのだろうか?
 
ミサの通常文に同じものが出てこないとしても、
似た言葉くらい思い当たりそうなものだが、
それが、ない。
 
思い当たるのは代名詞の hujus だが、
これとて、語頭の h は発音されるため、「フーユス」となる。
さらに、原典の文脈上ありえたとしても、
代名詞、しかも(語形の変化が)属格の hujus
この場面でそのままルビに持ってくるのは
ちょっと考えにくい。
 
(※合唱でしばしば参照される教会ラテン語は、
ヴァチカンのあるイタリア語に準拠して h を発音しない)
 

 
いったい、これはなんなのか。
 
 
校正者魂がメラメラきた。
 
 
 
まずは基本どおり、原典に突撃
 
訳者の千葉敏夫氏は、
この文庫本のなかで『プリンキピア』からの引用を載せるにあたり、
河辺六男氏の訳を使用している。
(中央公論新社『世界の名著31 ニュートン    自然哲学の数学的諸原理』1979年)
 
だが今回は、私が知りたいのはスペルであり、
あくまでも原典に当たって確かめたい。
 
 
 
さっそく、Googleブックスで、『プリンキピア』の原書を探し出す。
これは、簡単だ。いい時代になった。
 
1687年発刊の初版トビラ


 
次に、文庫本にあったページのラテン語を参考に、本文を検索してみる。

文庫本には、以下のように書かれている。
 
ニュートンは『プリンキピア』のなかで、「この太陽、惑星、彗星の壮麗きわまりない体系は、全知全能の存在の深慮(コンシリウム)と支配(ドミニウム)によって生ぜられたとしか考えようがありません。また、もし恒星がほかの同様な体系の中心であるとしたら、それらも同じ全知の意図のもとに形作られ、すべて〝唯一者(ウユウス)〟の支配に服するものでなければなりません」と述べている。
文庫本の167ページ
 
ここには他に、
「深慮(コンシリウム)」と
「支配(ドミニウム)」というラテン語がルビとして使われている。
 
これはそれぞれ、consiliumdominium であることは
ググればすぐにわかる。

 
 
さて、これをGoogleブックスの「この書籍内を検索」の窓に入れてみる。
まずは consilium ……出てこない。
次に dominium ……出てこない。
 
どっちも出てこない

 

ここでガッカリせず、版違いの可能性も視野に入れてみよう。
あとから追加された文言かもしれないからだ。
 
1714年発刊の第2版  Googleブックス
 
1714年発刊の第2版トビラ

  

まずは consilium ……出てこない。
 
見当たらないようだ

次に dominium ……おっ! 3件発見!
 
3件ヒット


うち1件は、よく見るとそばに consilium も見える。
 
両者が揃っている

 
なるほど、当時は の小文字の活字が「長い 」、
すなわち「 ſ 」なことも多く、
自動読み取りのOCR(光学的文字認識)では
うまく認識できなかったのだろう。

 
 
さて、この consilium を含む検索結果を見てみる。
  
見開きの図には、EDITORIS PRÆFATIO とあり、
編集者による序文であることがわかる。
 
両者があった箇所の見開き

 
本書にはこれとは別に、
AUCTORIS PRÆFATIO
(著者による序文)も存在するので、
上記は編集者のもので間違いないだろう。
残念ながら、ニュートンの文ではない。
 
余談だが、この序文、
著者ニュートンは3ページ半のところ、
編集者はなんと15ページ半もの序文を書いている。
ラテン語のため私には読むことはできないのだが、
苦労の数々をここで訴えているのだろうか……。 
 
 

気を取り直し、検索結果の2件目と3件目も
ページを睨んでみる。
 
 
2件目。
 
検索結果2件目

3件目。
 

検索結果3件目

つたないラテン語の知識と照らし合わせてみるが、
近くに consilium もないし、どうも、それっぽくはない……。 

 
 
1726年の第3版もまったく同様の結果であった。
 
 
 
検索にひっかからないのは、こうなると、
単語の途中で改行されているか、
あるいは、
文献中でのラテン語の活用形が異なるのかもしれない。
 
活用形のすべてを検索窓に入れてみるというやり方もあるが、
それはあまりにも、やみくも感が強い。
スマートとはいえない。
 
 





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