ヤングのころに見覚えた
「1インチ=2.538cm」の存在を追っていたら、
魔王誕生の理由を探る羽目になった。
工業の世界では19世紀からおなじみで、
20世紀半ばにはきちっと国際ルールで定められた
「1インチ=正確に2.54cm」だというのに、
それを差し置いて幅を利かせる魔王「2.538cm」とは何だろうか。
この値は、どこをどう計算して出てきたのだろうか。
どういうわけで、
こんなに自然な感じで社会に浸透しているんだろうか。魔王なのに。
正統と異端
「inch 2.538 」の具体的なネット検索結果は
前記事では書籍一冊と、米国農務省関連の書類のみを紹介したが、
実は同様のものは他にもチラホラ引っかかる。
それは、
裁縫関係のサイトだったり、
工業製品のサイズ一覧表だったり、
家具のサイズのための換算表だったりする。
そしてそのどれも、
「1インチ」を「2.538cm」としていることについて、
説明はない。
国際ルールとズレているのに、
根拠や断り書きを示す必要がないというのは、
どういう場合だろうか。
その本や書類を見る人が誰でも、
それを当たり前としている「常識」である場合。
ここまでに挙げた例で言えば、
たとえば、工業、農業分野などに限定して通用する
慣用単位などである場合などが考えられる。
しかしここで、
調査は袋小路に入り込む ( ´Д`)=3
そんなに当たり前の単位・数値なら、
「この分野では国際単位は使わずに、慣例的にこうしている」
とかいう記述があるに違いない
そう思って探すのだが、何も出てこない。
明確な記述が何も見つからないのだ。
国際ルールである数字「2.54」を正統とするなら、
魔王「2.538」はいわば異端だ。
ふつう異端派は、自分たちの存在意義を強く主張する。
あるいは、自分たちこそが真の正統派なのだと断言する。
その過程で、場合によっては、正統派を攻撃する。
どれだけ正統派が知らん顔を決め込もうが、
異端派は声を大にして自分たちの根拠を並べるものだ。
だが、2.538派は、それをしない。
ヘタをすると、異端であるという自覚もなさそうだ。
例外であるという実態もないのだろう。
あくまで自然に、社会に受け入れられ、
2.54派と共存している。
あまりに当たり前にそこにあり、存在の理由も語られない。魔王なのに。
漂う「当たり前」感
さきほどタメイキをついたように、
調査は軽く袋小路状態である。
ゆえにここからは、手当たり次第大作戦だ。
小数点を動かしたり、
検索ワードをこねくったりして、
あーでもない、こーでもないと、いろいろと試してみる。
やがて、またしても、
「いかにも当たり前」な様子で
とあることを記述している文を見つけた。
米・Yahoo! の Answers(知恵袋)である。
How many litres per square meter is 1 inch of rain?
1平方メートルの範囲に、1インチ(雨量計の高さ)の雨が降った場合、
それが何リットルになるのか、という質問だ。
ベストアンサーが「1インチ=2.54cm」とするかたわら、
こんなことを書いているベテラン回答者がいた。
1 meter = 39.4inches, approximately
1inch * 1meter/39.4inches = 1/39.4 meters = 0.02538meters.
( * は、= の誤記か)
なんと、
1インチが何mに相当するかを求めるのに、
「1m=約39.4インチ」というのを持ち出している。
そんで、ほーら出たよ、またしても特段の説明なし。
……だが、
確かにこれなら、"1 inch = 2.538 cm " になる。
(100 ÷ 39.4 = 2.53807106599... )
いやいやいやいや、
っていうか、
「1m=約39.4インチ」って何よ。
国際ヤード・ポンド法では、
「1ヤード=正確に0.9144m」と定めた。
1ヤード=12フィート=36インチだから、
そこから導くなら、
「1m=約39.37007874...インチ」となる。
数学の質問に回答するに際して、 誠意をもって書くなら
「1m=約39.37インチ」じゃないのか。
なのに、
39.37を39.4に切り上げしちゃって、
それが当たり前みたいに
「1mって、ほら、大体39.4インチじゃん?」というノリで
自信満々に回答しているのは、なぜなのか。
そしてまた、なぜ、
これを見ている他の誰も、そのことを指摘しないのか。
これは書物ではないし、
回答しているのも素性の知れない一般人だ。
そこに確度を求めることはできない。
だが、(名回答者としてそこそこプライドもあるだろう)
ベテラン回答者が、数億人の目に触れるネットに
さも当然のように書いている点は注目に値する。
マジで、魔王が生まれてしまっている。
これがこの世界の「ジョーシキ」なのか。
教室が魔界とか、よくある話
ここまでくると、正直、
大らかなアメリカンのスタンスについていけないぜ、
という気持ちにならなくもないが、
お国柄のせいにするのはよくない。
待て待て、と思いつつ。
次なるキーワードはもちろん、魔王の揺籃たるこれである。
meter 39.4 inches
検索してみると。
なんと、数学の問題がヒットしてしまった。
下記は、米コネチカット州ニューヘヴン地区の高校生を対象に
毎春行われている数学大会で2009年に出題されたものだ。
この、中ほどをアップにしてみたのがこちら。
「以下の問題を解くにあたり、換算のための係数はこれを使用すること」
といった調子で明記されているのが、
"1 meter = 39.4 inches " だ。
むろんこれは、小数点以下を1位までにして、
計算を容易にするための配慮にほかならないだろう。
だけどこれ、もしかして、
こうした設問に繰り返しふれることによって
学生たちの頭に "1 meter = 39.4 inches " という値が
叩き込まれちゃってるんじゃなかろうか。
長じて、そのまま社会でその値を用いてるんじゃなかろうか。
この構図を裏付けるかのように
米ニュージャージー工科大学の工学系学科では、
土木工学の博士号をもつ講師が、
授業を進めるにあたってのレジュメ (doc) に
こんなことを書いている。
青文字の部分をご覧いただきたい |
You find out from your math book that 1 meter = 39.4 inches.
数学の教科書に、1m=39.4インチと書いてある。
文章題の例としての記述ではあるものの、
これは少なくとも
「教科書にそう書いてあっても違和感がない」
という共通認識、社会通念が
ベースに存在するということになる。
というかぶっちゃけ、
これを書いた工学博士も数学大好き少年だった昔から
"1 meter = 39.4 inches " に親しんできたんだろう。
これ、小学校のころから、
このとおりである。
Math Phonics - Pre-Geometry: Quick Tips and Alternative Techniques for Math Mastery, 2003
(小学校3〜6年生むけの算数の教科書)
該当箇所はここ。
右上の囲んだ部分をアップにしてみると……。
1インチが2.5cmになっているのは
小学生向けならではの配慮だろうが、
"1 meter = 39.4 inches " は、大学に入ってもそのままだ。
そうとくれば、
「1インチは何mか」を知るために
"1 meter = 39.4 inches " を前提として持ってきても
彼らにとって違和感のあろうはずもない。
何しろ、教科書にはそう書いてあるわ、
高校でも大学でもそのまま行っちゃうわ、だもの。
同様に、
"1 inch = 2.538 cm " もまた、
上記の当たり前の前提から導かれる
たいそう見慣れ、馴染んだ数値ということなのだろう。
異端の魔王、その正体は、
机の上で量産された異端の数字の集合体だったのだ。
まさか教室が生まれ故郷だったとは。
米国の学校は魔界に通じていたのか……。
ホンネとタテマエ
「国際単位系における世界最大の例外」といえば、
米国だという。
英国も建前上はメートル法を公式採用しているし、
ヤード・ポンド法一本で押し通す気まんまんな米国は
その意味で最後の最大勢力だ。
カナダ・ブリティッシュコロンビア州の
さるネット講座の教科書に、興味深い記述を見つけた。
( BCcampus › BC Open Textbooks › Basic Kitchen and Food Service Management )
Imperial and U.S. Systems of Measurement
Canada used the U.S. and imperial systems of measurement until 1971 when the S.I. or metric system was declared the official measuring system for Canada, which is now in use in most of the world, with the United States being the major exception. However, “declaring” and “truly adopting” are not always the same.
帝国・米国度量衡
カナダでは、SIあるいはメートル法の公式採用を宣言した1971年まで、米国・帝国の双方の度量衡を使用していた。メートル法は世界中のほとんどの国で使用されており、最大の例外として米国がある。とはいえ、「宣言する」ことと「実際に使用する」ことは、いつも同じというわけではない。
最後にニヤリ。
おそらく、これと同じことが、
米国での「国際インチの使用され具合」にも言えるのではないか。
ホンネとタテマエがあり、
そこに、異端派が生まれる余地がある。
米国は特に、実生活上でメートル法との葛藤があるからこそ、
慣れるために繰り返し換算の練習をする必要がある。
それゆえに、かえって異端の数値が刷り込まれてしまう。
私がヤングのころに印刷所で見た換算表は、
なぜか米国仕様だったのだろう。
(日本語で書いてあった気がするけど……)
度量衡は、慣れているものがどうしても優先される。
商売などできちんと計量する場合は別だが、
実生活のうえでは国際ルールなど、
努力義務ほどの縛りもないだろう。
異端の魔王2.538は今後も教育の闇を吸い上げて、
永劫に数学の教科書に根を張っていくにちがいない。根城、学校かよ。
★ ★ ★
《参考データ》
国際ヤード・ポンド法を公式採用している6ヵ国を対象に、サブドメイン等を指定して、各国の学究機関でどれだけ「39.37」「39.4」が出てくるか調べた。(実際の検索ワードは、 meter ”39.37” site:ac.uk 等とした)
(2018年12月5日現在 Google を使用)
米国( site:edu で指定)
39.37 …… 約 6,980 件
39.4 …… 約 29,500 件
英国( site:ac.uk )
39.37 …… 約 1,040 件
39.4 …… 約 8,500 件
オーストラリア( site:edu.au )
39.37 …… 約 181 件
39.4 …… 約 1,520 件
ニュージーランド( site:ac.nz )
39.37 …… 約 36 件
39.4 …… 約 429 件
南アフリカ共和国( site:ac.za )
39.37 …… 約 201 件
39.4 …… 約 993 件
カナダ (site:ca)
39.37 …… 約 5,440* 件
39.4 …… 約 17,600* 件
* カナダでは教育機関専用のサブドメインを使用していないため、
学校以外のものも検索結果に出ている。
一方、Google ブックスでも正統派と異端派のバランスを調べてみよう。
meter ”39.37" で検索 …… 約 37,600 件
meter ”39.4" で検索 …… 約 16,500 件
こちらは、ダブルスコアで正統派の勝ちである。
とはいえ、異端派の根強さもうかがえる結果だ。
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