2019年1月18日金曜日

「なんで」や「どうして」は、責める言葉なのか

 結婚してまだ日が浅いころ。夫のミスの経緯が知りたくて「なんでそんなことしたの?」ときいたら、夫は責められたと思ったらしく、怒り出した。
 そこで、「じゃあ、理由が知りたかったら、どうきけばいいの?」と尋ねると、黙ってしまった。それからは、「なんで」「どうして」の質問で、怒らなくなった。
 

 娘に対しても、私が尋ねる「どうしてそんなことしたの?」は、理由を求める質問だ。むやみに責める言葉ではない。理由や原因を一緒に考えて、反省材料にしよう、という質問だ。
 でも、すでに娘は幼稚園などで「なんで」「どうして」は責める言葉の一部だと学習しているようだ。例えば娘が楽しそうに遊んでいるときに「どうしてそんなことしてるの?」ときくと、不安そうな顔になって、していることをやめる。「なにかダメだった?」ときいてくることもある。
 そんなとき、私は「あれれ、私、それはダメだ、なんて言ってないよ」と答える。「どうしてかな、って思っただけ」と。
 
 
 根底には、言葉をニュートラルに捉えられる人になってほしい、という思いがある。むろん、「なんで」「どうして」を責める言葉として使う人もいるので、「どっちかな?」と探ることは大切。
 その意味でも、「その一言」や「その表現」だけに縛られることなく、もっと大きな文脈で、人との関係性や心のベクトルを把握できるようでありたい/あってほしいものだ。
 
 
「間違ったときだけ理由を聞かれるから、《どうして》が責めることばになる」

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