文庫本で見つけた「んっ?」という違和感。
読んでいるときはスルーしたが、あとからどうしても気になって、
やはり確かめずにはいられなくなった。
それを、校正者根性丸出しで調べてみようという実験。
いつもこんな手法で調べているんだよ、という手の内をさらしつつ。
合唱愛好家と校正者のはざまで
今年の夏、
この文庫本の第4章ラスト付近、ニュートンを扱っている部分だ。
彼の著作『プリンキピア』からの引用として、もちろん和訳が書いてある。
大切な語を強調するためだろう、振られたカタカナのルビは、
ラテン語のカタカナ表記だ。
ご存じのように、ニュートンはイングランドの人であるが、
『プリンキピア』はラテン語で書かれている。
かつてのヨーロッパの学者たちは、
諸学問の共通言語であるラテン語で文通し、
遠隔地の相手と議論を深めたりしたという。
さて、この、
「唯一者」に振られた
「ウユウス」というルビである。
合唱をやっているとミサ曲などを歌う機会も多く、
ラテン語にはなじみがある。
「唯一者」といえば、
まさにミサ曲で讃えられる神のことであるのだが。
「ウユウス」。
いったい、どのようなスペルなのだろうか?
カタカナ表記も、
なぜ「ウーユス」でも「ウユース」でもなく、
「ウユウス」なのだろうか?
ミサの通常文に同じものが出てこないとしても、
似た言葉くらい思い当たりそうなものだが、
それが、ない。
思い当たるのは代名詞の hujus だが、
これとて、語頭の h は発音される※ため、「フーユス」となる。
さらに、原典の文脈上ありえたとしても、
代名詞、しかも(語形の変化が)属格の hujus を
この場面でそのままルビに持ってくるのは
ちょっと考えにくい。
(※合唱でしばしば参照される教会ラテン語は、
ヴァチカンのあるイタリア語に準拠して h を発音しない)
いったい、これはなんなのか。
校正者魂がメラメラきた。
まずは基本どおり、原典に突撃
訳者の千葉敏夫氏は、
この文庫本のなかで『プリンキピア』からの引用を載せるにあたり、
河辺六男氏の訳を使用している。
(中央公論新社『世界の名著31 ニュートン 自然哲学の数学的諸原理』1979年)
だが今回は、私が知りたいのはスペルであり、
あくまでも原典に当たって確かめたい。
ここには他に、
「深慮(コンシリウム)」と
「支配(ドミニウム)」というラテン語がルビとして使われている。
これはそれぞれ、consilium と dominium であることは
ググればすぐにわかる。
ここでガッカリせず、版違いの可能性も視野に入れてみよう。
あとから追加された文言かもしれないからだ。
検索にひっかからないのは、こうなると、
単語の途中で改行されているか、
ヴァチカンのあるイタリア語に準拠して h を発音しない)
いったい、これはなんなのか。
校正者魂がメラメラきた。
まずは基本どおり、原典に突撃
訳者の千葉敏夫氏は、
この文庫本のなかで『プリンキピア』からの引用を載せるにあたり、
河辺六男氏の訳を使用している。
(中央公論新社『世界の名著31 ニュートン
だが今回は、私が知りたいのはスペルであり、
あくまでも原典に当たって確かめたい。
さっそく、Googleブックスで、『プリンキピア』の原書を探し出す。
これは、簡単だ。いい時代になった。
1687年発刊の初版トビラ |
次に、文庫本にあったページのラテン語を参考に、本文を検索してみる。
文庫本には、以下のように書かれている。
ニュートンは『プリンキピア』のなかで、「この太陽、惑星、彗星の壮麗きわまりない体系は、全知全能の存在の深慮(コンシリウム)と支配(ドミニウム)によって生ぜられたとしか考えようがありません。また、もし恒星がほかの同様な体系の中心であるとしたら、それらも同じ全知の意図のもとに形作られ、すべて〝唯一者(ウユウス)〟の支配に服するものでなければなりません」と述べている。
ここには他に、
「深慮(コンシリウム)」と
これはそれぞれ、consilium と dominium であることは
ググればすぐにわかる。
さて、これをGoogleブックスの「この書籍内を検索」の窓に入れてみる。
まずは consilium ……出てこない。
ここでガッカリせず、版違いの可能性も視野に入れてみよう。
あとから追加された文言かもしれないからだ。
1714年発刊の第2版 Googleブックス
次に dominium ……おっ! 3件発見!
うち1件は、よく見るとそばに consilium も見える。
余談だが、この序文、
著者ニュートンは3ページ半のところ、
2件目。
3件目。
1726年の第3版もまったく同様の結果であった。
|
1714年発刊の第2版トビラ |
次に dominium ……おっ! 3件発見!
3件ヒット |
うち1件は、よく見るとそばに consilium も見える。
なるほど、当時は s の小文字の活字が「長い s」、
すなわち「 ſ 」なことも多く、
自動読み取りのOCR(光学的文字認識)ではすなわち「 ſ 」なことも多く、
うまく認識できなかったのだろう。
さて、この consilium を含む検索結果を見てみる。
見開きの図には、EDITORIS PRÆFATIO とあり、
本書にはこれとは別に、
AUCTORIS PRÆFATIO (著者による序文)も存在するので、
上記は編集者のもので間違いないだろう。
AUCTORIS PRÆFATIO (著者による序文)も存在するので、
上記は編集者のもので間違いないだろう。
残念ながら、ニュートンの文ではない。
余談だが、この序文、
著者ニュートンは3ページ半のところ、
編集者はなんと15ページ半もの序文を書いている。
ラテン語のため私には読むことはできないのだが、
苦労の数々をここで訴えているのだろうか……。
気を取り直し、検索結果の2件目と3件目も
ページを睨んでみる。2件目。
検索結果2件目 |
3件目。
1726年の第3版もまったく同様の結果であった。
検索にひっかからないのは、こうなると、
単語の途中で改行されているか、
あるいは、
文献中でのラテン語の活用形が異なるのかもしれない。
活用形のすべてを検索窓に入れてみるというやり方もあるが、
文献中でのラテン語の活用形が異なるのかもしれない。
活用形のすべてを検索窓に入れてみるというやり方もあるが、
それはあまりにも、やみくも感が強い。
スマートとはいえない。
0 件のコメント:
コメントを投稿